2024年12月29日 (日) 僧侶の男、草津市で盗撮容疑!現場で何が起きた? <追記1>
滋賀県警草津署は29日、性的姿態撮影処罰法違反(撮影)の疑いで、京都市東山区に住む僧侶の男(41)を現行犯逮捕しました。
男は同日午後6時半ごろ、草津市内のスーパー銭湯の脱衣所で、中学生(12)の下半身をスマートフォンで動画撮影した疑いが持たれています。脱衣所に居合わせた客が、男がスマートフォンを被害者に向けているのを目撃し、「あんた撮られてるよ」などと被害者に伝えたことで事件が発覚しました。その後、店長が通報し、駆け付けた警察官が男を現行犯逮捕しました。
警察の調べに対し、男は「若い男の人を盗撮しました」と容疑を認めており、警察は余罪についても調査を進めています。
僧侶という職業には、禁欲や自己制御が求められる厳しい側面があります。しかし、この事件で明らかになったのは、その僧侶自身が、そうした理想像から大きく外れた行動に走ってしまったという事実です。社会的には「精神的指導者」「清らかであるべき存在」として期待される僧侶が、スーパー銭湯という公共の場で大胆な盗撮行為を行ったとのこと。一体、彼に何が起きたのでしょうか?
まず、僧侶といえども人間であることを忘れてはなりません。欲望を完全に捨て去るのは難しいことです。日常生活で厳しい規律や禁欲的な生活を強いられることで、欲望が抑圧され、結果としてその反動が異常な形で表れてしまったのでしょうか。この事件が「禁欲しすぎておかしくなってしまった」という視点で語られる理由の一つがここにあります。自己制御が求められる立場であるだけに、欲望を発散する方法を見失い、他人に迷惑をかける形でその欲望を満たそうとするのは非常に残念なことです。
さらに、今回の犯行が行われた状況について考えると、スーパー銭湯の脱衣所という場所は特に注意を引きます。多くの人がリラックスし、警戒心を解く場所であり、その環境を悪用する行為は極めて大胆です。犯行時、彼は周囲を気にする余裕すらなかったのかもしれません。欲望に支配され、冷静な判断ができなくなっていたことが推測されます。それでも僧侶という立場上、少なくとも周囲の目を気にし、行動を制御するべきでした。
この事件は、僧侶という職業や宗教に対する信頼を損なう恐れがあります。同時に、僧侶が抱える人間的な弱さや悩みについても考えさせられます。僧侶だからといって完璧ではありません。彼らもまた私たちと同じ人間であり、時には助けやサポートが必要です。彼女が必要かもしれませんし、結婚だってできます。僧侶が欲望をコントロールし、自らを律する一方で、それを過度に抑圧しない方法を模索する必要があるのかもしれません。
この事件は、僧侶に対する社会の期待と、彼らが抱える人間としての悩みを考えるきっかけになりました。犯行は許されませんが、同じような事件を防ぐためにも、僧侶や宗教関係者がお互いに支え合える環境を作ることが大切です。
<追記1>
調べに対して「若い男の人の裸が見たくて盗撮した」などと容疑を認めているという。